Calendar
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>
NEW ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
OTHERS
RECOMMEND
 
「ブログ日本200名山http://200meizan.jugem.jp/」のおまけ情報満載!
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドア系ブログいろいろ、クリックよろしく! | - | | - | - |
台湾の友人(3)
 21日は6時起きして、台中散歩に。
中正路と呼ばれるメインストリートを、とりあえず台中駅まで歩いてみようかと。

台中は、人口100万人あまり、台湾第3の都市。
ホテルのあたりは新市街で、日本より立派で儲かっていそうな「そごう」なんかがある。

221122台中商店街旧市街である台中駅に向かっていくと、道路は細くなり、なんとなくさえない、でも人間臭いエリアに。
ビンロウ売りや、屋台が並んで、時間をさかのぼるよう。

台中駅は1917年日本統治時代の建物。
駅弁が売っていたりして、「やや鉄」のぼっちは興味津津。
(ちなみに、馬総統は、駅弁愛好家で、1年に700個食べたこともあるとか。)


帰路は、メイン道路を外れ、屋台街なんかに入りこんでたら、
また、どんどんはぐれて、遭難しそうに。
2時間の長い散歩デシタ。

9時にSさんご夫婦が車で迎えにきてくださり、台中から内陸部に。
観光名所日月譚、文武廟を回る。
湖の見えるザ・ラルーというリゾートホテルの窓際の特等席を取っていただき、
鶏肉の紹興酒漬けとか、トンポーローとか、おいしくいただく。
(ずいぶん、奮発していただいたんだろうなあ。。感謝です。)
221121日月譚
帰路は、原住民の多い地域だったという、埔里で紹興酒工場に立ち寄り。
試飲もいいけど、ぼっち的には、熱帯樹に覆われた、あたりの山々が気になってしようがない。

台北に戻り、Sさんのご主人が経営する会社(防火扉を扱う個人企業デス)を見せていただき、大きくなった愛娘メメちゃんとも再会。

夕食は、Sさんも会長だったことのある日本語弁論会(?)の現会長である女性の蔡さんとそのご主人と合流してにぎやか。
蔡さんは、台湾キャノンにお勤めとか。
台湾は、女性の社会参加が進んでいて、みなさん自信にあふれておられる。
その分外食の機会が多く、それが雇用につながってる。
これからの日本も見習わなくては。

221121耕讀園夕食後は、耕讀園というコイの泳ぐ茶館で、Sさんの日本語教室の生徒さんと懇親会。
おいしい高山茶を味わいながら日本語で自己紹介。
みなさん教師とか企業戦士として働かれてきたインテリ層。
ゆっくりお話を伺えば、たくさんの人生経験を語って下さりそうな方ばかり。
ぼっち母が日本から持ってきたたくさんの色紙に、寄せ書きをしあって、みんなの記念品に。


ホテルに送っていただいたのは22時。
長い長い一日。

でも、もひとつ経験しておきたいことが。それは台湾マッサージ。
母を寝かしつけ、タクシーで深夜までやっている「金礦928」という店へ。
全身経路マッサージ60分というのをやってもらったけど、感想は「とにかく痛い」。
200名山疲れも取れたかな、なんて、ホテルに戻ったのでありました。

(その4につづく)
にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドア系ブログいろいろ、クリックよろしく! | 寄り道 | 06:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
台湾の友人(2)
桃園空港から、Sさんのご主人の運転で首都台北へ。
まずは、圓山大飯店の園苑で、熱々の小籠包をいただきながら、積もる話を。
じっさいにお会いするのは、なんと17年ぶり。
でも、Sさんご夫婦の、包容力あるお人柄に、ホンワカした気持ちになり、旅の緊張感もほぐれる。

221020圓山大飯店ロビーちなみに、圓山大飯店は、1952年、蒋介石の夫人宋美齢によって、旧台湾神宮の跡地に建てられた台湾史の華麗なる舞台デス。

お腹もいっぱいになったところで、故宮博物院へ移動。

賑やかな台北市街は、選挙を控え、国民党と民進党のポスターが踊っている。
「時代を経て、せっかく本省人と外省人がなじんできたのに、選挙になるとまた対立しあうのが残念」とSさん。
本省人とは、台湾が中華民国に帰属する前に長い時間をかけて中国本土から移住してきた人たち。
外省人とは、蒋介石とともに移住してきた人たち。軍人や官僚が多かった。
歴史的な恩讐を超え、台湾の人たちは生き・働き、経済的な発展をなしとげてきたんだなあ。。

ちなみに、Sさんのご主人や、亡きお父さんは本省人。
Sさんは、英語と日本語の講師で、ご主人とは本省人の言葉で話し、空港とかオフィシャルな場では北京語で話される。
うーん、語学が堪能って、こういう環境が生み出す必然なんだ。。

221120水仙盆なんて、感動ばっかりしながら故宮に到着。
日本人も大好きな南宋時代の特別展が開催中で、ぼっちは釘付け。
北宋時代の至宝、青磁の水仙盆も拝めて、大満足。
母とSさんたちは、有名な白菜だけ見て、後はおしゃべりの続き。
(まあ、母はかつて故宮に2日通ったわけだしね。)

故宮は、改装され、レストランも充実。
最上階にある「三希堂」で、おいしいお茶と牛肉麺をいただきながら、まだまだおしゃべり。

それにしても、故宮の美術品を見た感想の伝え方が難しい。
蒋介石が北京の故宮から台湾に運んできたという文物の由来もさることながら、
そもそも中国美術っていう時の、「中国」って何なのか。
自国の美術とするのか、中国本土の美術とするのか。
本省人と、外省人で、とらえ方が違うのかもしれない。
台湾の方たちにとって、identityの問題は、哲学や文学なんかじゃなく、日常的な問いとしていつもあるんだろうなあ。。

いろんな意味で「お腹いっぱい」になって、夜の高速を飛ばして台北から台中に移動。
21時過ぎに、長栄桂冠酒店(エバーグリーン・ローレルホテル)にチェックイン。

(その3につづく)
にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドア系ブログいろいろ、クリックよろしく! | 寄り道 | 06:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
台湾の友人(1)
221122台湾の空台湾に行ってきました。
何しにって…話せば長い因縁であります。

時はさかのぼること、ぼっちの父が亡くなった20数年前。
残された母に、気分を変えてもらおうと、ゴールデンウィークに3泊4日の台湾旅行を手配。
割高な連休のパッケージ旅行だけれど、初めての海外旅行にはいいかなと。

ところが、どっこい。
台湾に着いたら、空港には、現地の迎えの人と母1人。

1日目は、故宮博物院と土産物屋に案内されたけれど、2日目からは付き添いなし。
カタログにあったオプショナルツアーもなし。
仕方なしに2日目も故宮を見たけれど、3日目となると時間が持たない。
(ちなみにツアー料金を通常期の2倍取って、面目つぶしてくれたのは、名門「K**!」。)

でも、そこは、ぼっちの母。
それじゃ、電車にでも乗ってみましょうかと、台北から台中まで電車旅行に。
(片言の英語もできないのに、どうやってって聞いたら、「漢字見て」とのこと。)
台中駅で降りて、日本の植民地時代の面影もかすかに残る街を回った。

再び台北に戻る電車の指定席には別の客。
まごまごしていたら、ある女性が寄ってきて、別の客が車両番号を間違えていることを確認。
そして、母に「日本の方ですか」と話しかけてくれた。
それがSさん。

実は、台中市に住むSさんは中国人の父、日本人の母を持ち、
そのお母さんを、数ヶ月前に突然心臓病で亡くしたばかり。
数ヵ月後に、お母さんの日本の実家に行く予定があると分かり、
じゃあ、うちにも来てちょうだいと、アドレスを交換。

その時を含めSさんは3度我が家に。
3度目は、ご主人と、高齢出産で恵まれた一人娘メメちゃんも帯同。

それから17年。
新年の電話は欠かされなかったものの、
仕事・育児・義父母の介護などに追われ、日本に来る機会はないまま。
ぼっち母も年老いた。

正月に、ぜひ台湾にとのお話をいただき
ここは、孝行息子ぼっちでいかなくちゃ! と一念奮起。
11月20日から22日に台湾旅行を計画。
(←というか、今まで200名山にかかりきりで、不義理の限りだったんじゃ?)

20日桃園空港到着。Sさんご夫妻と感激の再会。
台湾旅行が始まった。

(その2に続く)
221120圓山大飯店
にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドア系ブログいろいろ、クリックよろしく! | 寄り道 | 21:40 | comments(2) | trackbacks(0) |
これが「点ノ記」の実物デス!
「劔岳<点の記>」についてUPしたら、山の大先輩Hさんから、ご参考に、と、「点ノ記」の画像をいただいちゃいました。
へえ! 

点ノ名称   鎌ヶ峰
国名     飛騨
選定年月日  明治三十五年五月十九日
選定者    陸地測量手行方五市
観測スベキ方向 乗鞍岳(13) 鉢盛山(14)(1)(17)(8) 御嶽山(15)
観測ノ年月日  明治三十五年八月三十一日
標石     尋常形三河産花崗岩

そのほか、「点標」「点ニ到ル順路、其険夷、町村ヨリノ路程」「材料準備ノ手段、其価額」「雇人招集ノ手段、其価額」「運搬ノ手段」「作業間棲宿ノ方法」「食料品ヲ取ルノ地其路程」「飲料水ヲ把ムノ地其路程」「障碍樹木ノ有無伐採ノ数其樹程」「測量ニ不可ナルノ季節、其原因」が簡潔に記されている。

この凝縮された「点ノ記」で、じゅうぶん三角点設置の苦労が浮かび上がる。
それだけに、劔岳の「点ノ記」を残せなかった、測量官柴崎芳太郎の無念もしのばれる。
鎌ヶ峰点の記200905
「これは古い様式の例、新しいものは簡略化されています」と、Hさんのコメント。
どうしてこんな画像得られたんでしょうかねえ。またまた尊敬です。

JUGEMテーマ:趣味
にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドア系ブログいろいろ、クリックよろしく! | 寄り道 | 19:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
MIHO MUSIUM 
「MIHO MUSIUM」
滋賀県信楽のとんでもない山奥に、10年ほど前に開館した美術館。
梅雨時や夏、そして冬場は閉館。
観光向けのちょっとした美術館かって?
とんでもない!
MIHOMUSIUM200329建物の設計は、あのルーブルのガラスのピラミッドを作ったI.M.ペイ氏。
甲賀の山々と溶け込んだ庭園は広大かつ清々としている。
枝垂桜の坂道から、超モダンなトンネルをくぐると、桃源郷の田舎屋をモチーフにしたようなエントランスに誘われる。


南館は、エジプト、ガンダーラなどのこんなの日本にあっていいの?というような至宝のかずかず。
北館は、一本筋の通ったいぶし銀の日本美術コレクション。
何より、館全体を包む凛としつつも柔らかな空気はちょっと他じゃ味わえない。
「奇跡の美術館」という言葉も大げさではないと思う。

特に、3月中旬の春季開館に合わせ足を運ぶのが、ぼっちにとって春迎えの行事みたいになっている(他の季節は山が忙しいというのも…)。
この春のオープニングは、「与謝蕪村−翔けめぐる創意−」という特別展。

若い頃の蕪村の絵は、いかにも墨絵といった、つまらーんもの。
それがいろんな土地を旅し、多くの人と巡り合い、年老いるほどに独自の画境を開いていく。
特に謝寅(シャイン)という号を使うようになった晩年は、ゆるぎない名作が多い。
精進しながら年齢をきちんと重ねれば、もしかしたら別の心境に達することができるかも―生き続けることへの勇気をもらった展覧会だった。
与謝蕪村「山水図屏風」200329
近年発見され、今回の展覧会が初公開の謝寅時代の「山水図屏風」
実物は銀箔の地で、月光の下の風景のよう。
JUGEMテーマ:趣味
にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドア系ブログいろいろ、クリックよろしく! | 寄り道 | 22:18 | comments(0) | trackbacks(10) |
実験者フェルメール
フェルメール(Johannes Vermeer)は、17世紀オランダの画家。
その死後、忘れ去られていた画家の真価が「再発見」された経緯、真作が30数点という希少価値に加え、近年映画化され、多数の「謎解き」本も出版されたから、大変な人気画家になっている。
青いターバンの少女191208ぼっちの場合、学生時代、美学の先生が熱く語ってくれたおかげで、その名前だけは知っていた。
そして、10数年前マウリッツハイス美術館から名古屋にやって来た「青いターバンの少女」を見たとたん、一目ぼれ。
ぱらぱらとしか人のいない県美術館で、30分以上もこの絵の前に立ち尽くしていた。

今思い返すと、なんともぜいたくな時間だった。。

でも、この画家を追うほどに知らされたのは、残された30数点の作品のうちでも、永遠をとらえたような傑作は10数点のみで、残りは、ちょっとねえ、というような駄作であること。

だから、最近のブームで、傑作駄作関係なしにもてはやされるようになると、なーんかね、と距離感ができてしまった。(なんていいながら来日作品は見てました。)
牛乳を注ぐ女191208
今回、いつの間にかフェルメール好きになっていた下の娘にねだられて、「牛乳を注ぐ女」を見に行き、改めてその潔い美しさに打たれた。
そして、画家が製作過程で、いかに絵の中から不要なものを取り除き、「意図するもの」に純化していったか、最近の研究成果を知り、改めてそのすごさを知った。

その「意図するもの」が何か、画家は言葉では残していない。

それは…うまくいえないんだけれど「光の一瞬を、永遠に固定すること」じゃないかと思う。

フェルメールは、1632年オランダの商都デルフトの恵まれた環境の中で、画家となり、1650年台半ばから作品を残している。

その後、寓意画が主流の当時の画家としてはありえないほど、カメラ・オブスクラなど科学的な手法も使いながら、「意図するもの」に向け、絵を純化させていった。
その、もっともめざましい実験の場となったのが58年〜60年頃の作品とされる「牛乳を注ぐ女」なんだと今回印象付けられた。

その実験は、60年代の「手紙を読む青い衣の女」「リュートを持つ女」「レースを編む女」そして「青いターバンの少女」などにつながる。
そして実験の成果を、複雑なモチーフの中に総合的に表したのが「音楽のレッスン」や「画家のアトリエ(絵画芸術)」など。
また、外光での実験が60〜61年頃の作品とされる傑作「デルフトの眺望」となる。
デルフトの眺望191208
これらの、実験から遠ざかり、当時の常識的な価値観を反映した寓意画ほど、時代が変わればつまらなくなる(「ワイングラスを持つ若い女」「紳士とワインを飲む女」など)。

そんな画家の静かな実験を許さなくしたのが、1672年フランスのルイ14世のオランダ侵攻。
画家は、多額の借金を重ね、生活に追われていく。
この頃の絵は、もはや魂が失われたよう(「ギターを弾く女」「ヴァージナルの前に立つ女」「ヴァージナルの前に座る女」など)。
そして1675年、画家は43歳の一生を終える。

と、今回ぼっちなりの整理をしてみた。
そうすると、駄作も、納得して眺められるような。

ま、そんなオツムの整理はどうでもいいとして、「牛乳を注ぐ女」、ほれ直しちゃいました。
にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドア系ブログいろいろ、クリックよろしく! | 寄り道 | 12:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
英彦山の山伏たち
英彦山の銅の鳥居を入ると石畳の両側に、かつての山伏の住まう「坊」の跡がずらり。
財蔵坊のように、原型を留めるもの、明治以降に旅館などに姿を変えたもの、庭だけが残るものなどさまざま。

その一軒一軒の前に由緒を書いた立て札があり、読んでいくと、修験道の中心地のひとつであった英彦山が、歴史の波を被っていたことがよく分かる。

英彦山は、元は「彦山」とされ、相当古くからあるが、「英」を頭に付けるようになったのは、江戸期の享保14年(1729年)に、霊元天皇から、天下に抜きん出ている霊山として「英」の美称を許されてからとか。

山伏は、仏教系(天台宗系)の「宗徒方」と、神道系の、祭を司る「惣方」および回峰修行をリードする「行者方」の3つに大きく分けられていた。
同じ「坊」でも、この3つの系統のいずれでも比較的自由に選択できたよう。

かつてあの京都の「聖護院」が、英彦山を「末山」と主張したことがあり、当時の英彦山座主が幕府に訴え、元禄9年(1696年)に天台宗修験別山と公認された。
しかし、訴訟の費用のため、大講堂(現在の奉幣殿)の前の神木を売りに出さなくてはならなくならなかったとか。(結局私財を投じた坊によって救われたとか。)

幕末には、長州の尊皇攘夷の志士たちと通じた長三州という人物が坊に塾を開た影響を受け、山伏達が長州と手を組んで討幕運動に参加、それを危ぶんだ幕府派の小倉藩が文久3年から明治維新までの5年間藩兵で、英彦山を制圧していた。
そのため、弾圧のもとに命を落とした山伏も多かったらしい。
灯篭190106
それなのに、明治維新後、廃仏毀釈の波の中で、各「坊」は翻弄されて相当苦労をした。
例えば、大きな石塔の身の部分をくり抜き、蓮弁を亀の甲羅みたいに掘り直して「灯篭」ということで破壊を逃れたり。


英彦山の山伏たちは、信者を40万人以上抱え、しかも、国の枠を超えた活動のできる集団だっただけに、歴史そのものに関わらざるをえなかったのだろうな。

坊をのぞきこむと、そんな歴史が垣間見れそう。
ゆっくりまた訪れたいです。
にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドア系ブログいろいろ、クリックよろしく! | 寄り道 | 21:49 | comments(0) | trackbacks(1) |
小鹿田(おんだ) ― 山の中の窯 
英彦山に行くのなら寄ってみたかったのが、小鹿田という焼物の里。
江戸時代江戸時代中期。筑前の小石原焼の影響を受けて窯が開かれたらしいけれど、山あいの人々が生活の器を作り続けていたら、「民芸ブーム」がやってきて脚光を浴びるようになったもの。窯元全体が人間国宝になっている。
今でも、陶土を谷川の水を利用した唐臼でつき、登り窯で焼いていると聞き、隠れ陶芸ファンのぼっちとしては一度見たかった。←やっぱり、隠居趣味って?

英彦山登山の後、心細い県道を、カーナビを頼りに約1時間。
日暮れ間際の、みぞれ降る、小鹿田の集落にたどり着く。
おお、ごっとん、ごっとん、本当に唐臼が響いてる。
登り窯もごく普通に、村の風景の真ん中にある。へえ。
小鹿田焼唐臼190106
観光客の影もない、日暮れの作業場を見て回り、大きな鉢を買った。
鍋物の野菜を盛ったらうまそう。(でも、持って帰るの重そうって、買ってから気がついた。。)

こごえきって、川岸にせりだした村でただ一つの食堂に入る。
野菜のいっぱい入った団子汁をいただく。
傍でのんびり一合の酒を呑んでいたおじいさんも陶工みたい。
ズボンに土がついていた。
団子汁190106
にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドア系ブログいろいろ、クリックよろしく! | 寄り道 | 20:53 | comments(0) | trackbacks(1) |
聖護院界隈いい感じ
京都の町は、あちらこちらに、掘り出しもののスポットがあって楽しい。
今回は、聖護院をめざし、熊野神社のバス停で下車。
交差点に「聖護院八ツ橋」の店があるからすぐに見つかるかと思ったら、うーん意外に分からない。
平安神宮の方に娘と少し歩きながら、誰かに道を尋ねようかきょろきょろ。
お、抹茶ソフトの看板発見。抹茶アイス最中もあるって。

で、こじんまりしたお茶屋さんののれんをくぐったら、カウンターで白髪のご主人が丁寧に茶を淹れておられる。
おお、この方はもしかして…

じつは、ぼっちの隠れ趣味が「煎茶」。
かつて、京都の茶商竹村嘉平さんの書かれた「宇治茶いい味いい香り」という本を読み、お茶を極める嘉平さんの心意気に感服したことがある。
まさか、目の前のご主人が嘉平さんじゃ…

「まあ、座りなはれ」、と椅子を勧められて、いただいた白い小ぶりの茶碗の煎茶。
淡い色なんだけれど、甘い。お茶の中のお茶の味。
茶箱の店の名を確かめたら「竹村玉翠園」。これは間違いないや。
緊張しちゃいました。

アイス最中なんて、頼んでいいのかななんて思いつつ、頼んだら(これは奥さんの受け持ちのよう)、またこれがうまい。抹茶が上質で小豆がちょっと入っているのも京都らしい。
奥様に、聖護院への近道を教えていただき。娘と半分ずつ、アイス最中食べ食べ聖護院へ。

聖護院からの帰り道、門前の通りに向かい合う八ツ橋屋。
日本最古というキャッチフレーズにひかれて、西尾八ツ橋に入ってみる。
餅花の飾られた古い店はいい感じ。
いろんな八ツ橋が試食できて、お茶まで出してもらって、娘もご満悦。
八ツ橋屋190103
聖護院界隈は、ぼっちにとって空白地帯だったけれど、またゆっくり訪ねたいエリアでした。
にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドア系ブログいろいろ、クリックよろしく! | 寄り道 | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
円空ワールド 中観音堂へ
梅原猛氏著「歓喜する円空」で、円空の生誕の地とされる、岐阜県羽島市竹鼻にある中観音堂に行ってきました。(知らなかったけれど、結構ご近所。)

新幹線の岐阜羽島駅から約10分、一部廃線となった「竹鼻線」に沿って古い家並みが続く、その町外れに観音堂が。
12月の冬晴れ、鉄筋コンクリート2階建てのお堂は、ちょっと殺風景だけれど、程よく陽が当たって、地元のご老人がのんびり交替で堂守をされている。
十一面観音181210
まずは本尊十一面観音菩薩とご対面。2mを越す檜の一木造で、柔和なお顔。
頭の上に、いろんな仏さま。
そして左手には、大きな水瓶(すいびょう)をしっかり握っておられる。
いろんな願いを聞いてくれる、特に水をつかさどってくれる仏さま。
すごく分かりやすく、当時の竹鼻の人たちの願いがそこに現れている。

鬼子母神像、南無太子像(聖徳太子の少年時代の像)、男神像、不動明王像、大黒天像、護法神像… ううむ、神仏混合の円空ワールド。。
円空仏は、現代彫刻にも繋がるような、大胆なフォルムを持っているけれど、江戸の当時から、支持を受けていたという。
美しいとか、そんなことの前に、「なんだか霊験がありそう」、そう思わせる迫力があったんだろう。円空本人のパフォーマンスも、人をひきつける力があったのかな。

眼鏡のおじいさんが、ゆっくり解説してくださる。
まつばり子(私生児)として生まれ、幼くして母を水害でなくしたという伝説が地元では残っているそう。
竹鼻は長良川と揖斐川にはさまれた「輪中」と呼ばれる地域にある。
仏さまたちがコンクリートの堂の2階に安置されているのも、必然性があってのことらしい。

長良川の源である霊峰白山、そしてそのご神体とされる十一面観音を崇敬していた円空は、12万体の仏像を彫り、元禄8年(1695年)、長良川河畔で入定したという。
実は、ぼっちたちがカヌーをやっていた場所に近い橋のたもとにその入定塚があったのです。
中観音堂色紙181210
(梅原猛氏は半年に3回堂を取材されたそう。すごいぞ学者魂。)
にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドア系ブログいろいろ、クリックよろしく! | 寄り道 | 21:35 | comments(0) | trackbacks(0) |